【奇跡の実話】瀬川晶司と
「泣き虫しょったんの奇跡」

26歳の壁。

将棋のプロになるには奨励会で26歳の誕生日を迎えるまでに四段まで昇段しなければなりません。

羽生善治九段や、藤井聡太棋士のような輝かしい活躍をする棋士の裏で、夢やぶれ去っていく棋士達

26歳で奨励会を退会した瀬川晶司さんもその中の一人でしたが、瀬川さんの人一倍強い将棋への思いが、瀬川さんに、そして将棋界全体に奇跡を起こしました。

本記事ではそんな瀬川晶司さんと、彼の自伝から作られた映画「泣き虫しょったんの奇跡」についてご紹介します。

奨励会の仕組み

奨励会は、各地の研修会などで腕を磨いたプロ志望者が、プロになる実力に値するかを審査する場所です

奨励会は6級から三段までの段級制となっていて、勝者のみが上へ上がる競争の世界です。
また、奨励会における6級は、アマチュアの四段に相当することからも、非常にレベルが高い場所であることがわかります。

奨励会で三段から四段へと昇格できれば、晴れてプロ棋士の仲間入りです

詳しい奨励会の仕組みやプロ棋士への道解説はこちら

プロ棋士になる難しさ

奨励会三段から四段へと昇段する「三段リーグ」年2度の開催で、それぞれ上位2名(年間で計4名)が四段へ昇段します。
この制度ゆえ、奨励会へ入会した人がプロ棋士になれる割合は約1〜2割程度となっています。

また、奨励会には年齢制限があり、21歳までに初段・26歳までに4段の条件を満たせなかった人は奨励会を退会することになります。

米長邦雄永世棋聖の有名な言葉に、「三人の兄達は頭が悪いから東大に行った。私は頭が良いから将棋の棋士になった」という言葉があることからも、プロ棋士になることがどれだけ難しいことかがわかります。

瀬川晶司さんが起こした将棋界の革命

瀬川晶司(せがわ しょうじ)さんは、15歳で奨励会に入会し、プロ棋士を目指します。
21歳で三段まで昇段しますが、26歳までに四段へ昇段することが叶わず、年齢制限のため奨励会を退会します。

退会後は一時将棋から離れますが、将棋を伸び伸びと指す楽しさに気づき、アマチュアとして再び棋士になります。
奨励会退会から4年後には全日本アマチュア名人戦で優勝し、プロ公式戦である棋王戦へと挑戦します。
その後もアマチュアの大会で上位になることでプロ公式戦に何度か挑戦し、それらでプロ相手に17勝6敗、勝率0.739という脅威の成績を収めます。

それらの実績を引き提げ、日本将棋連盟にプロ編入の嘆願書を提出します。
(当時は奨励会からの昇段でしかプロ棋士になれませんでした。)
これに対して全棋士に多数決を採った結果、賛成多数で編入試験が認めらます
この編入試験に無事合格し、瀬川さんは晴れてプロ棋士となりました。

これを機に、アマチュア棋士でもプロ棋士になれる「棋士編入試験制度」が作られました

映画「泣き虫しょったんの奇跡」

 

映画「泣き虫しょったんの奇跡」は、瀬川晶司さん奇跡の実話を題材にした映画です。
多くの人が夢破れていく中で、ひたむきに夢を叶えようとする主人公の姿に、勇気をもらえます

また、俳優陣が超豪華ですので、そちらに注目しても面白いかもしれません。

まとめ.誰かの夢が歴史を変える

将棋界に革命を起こした「瀬川棋士」と、映画「泣き虫しょったんの奇跡」についてご紹介しました。

瀬川棋士が作った「棋士編入試験制度」によって、2021年現在2名のプロ棋士が誕生していますので、瀬川棋士の夢をひたむきに追いかけた努力が、他の人の夢まで叶えたということになります。カッコイイの一言に尽きますね。

ぜひみなさんも、この奇跡の実話を一度ご鑑賞ください。

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